やませみ43号
発行日2005.7.15
目次
T 天覧山・多峯主山の自然環境保全に向けて  ・・・ NACS-J自然観察指導員 大石 章
U 「人に愛され続けてきた山ーー天覧山・多峯主山」・・・(財)日本自然保護協会 保護・研究部  廣瀬 光子
V 大岡便り・・・遠藤夏緒(農楽里ファーム)
W 自然と共に生きる……ってこういうこと?・・・守る会 浅野哲示
X 編集後記
 

T 天覧山・多峯主山の自然環境保全に向けて             NACS-J自然観察指導員 大石 章

 西武鉄道の武蔵丘分譲地開発計画中止に伴い、ほとんどの計画地は市街化調整区域に戻される見込みであり、残された緑地を売却する予定はないということです。しかし、西武鉄道も一企業であり、経営改革も検討されており、今後恒久的な緑地保全を進めるためには、西武を含む土地所有者、行政及び市民が一緒に保全のためのしくみを検討していくことが必要と思われます。
そこで、緑地保全制度等を概観し、どのような方向が考えられるか検討してみました。

緑地保全制度とは

 天覧山・多峯主山地域は県立奥武蔵自然公園の中にありますが、開発行為が強く規制される「特別地域」ではありません。このため、飯能市では「市環境保全条例」に基づき土地所有者同意のもとに、一部「景観緑地」の指定を行い、開発を規制する代わりに固定資産税と都市計画税相当額を補助していますが、あまり強い規制はできません。
 現行の制度では、土地所有者には固定資産税と都市計画税等が課税される上、相続時には高率の相続税が課されます。こうした課税が常に圧力として働き、都市近郊の緑地が売却され、消滅していると言われています。このため、法律に基づき、緑地の開発を規制する一方で税を軽減する制度が別表のとおりいくつかあり、こうした制度を利用して緑地保全をきちんと担保していくことが重要です。
 一般的に、これらの中で都市緑地法の「特別緑地保全地区」の指定を行うことが容易で効果的と言われており、その理由は、@県(10ha未満は市町村)が都市計画で指定できる、A税の軽減措置が手厚い、B万が一の場合買取保全が可能で、その場合国から補助があることによります。ちなみに「近郊緑地特別保全地区」は国土交通大臣が指定します。県が04年2月に策定した県「都市の緑」推進プランでも「特別緑地保全地区」の指定を進める旨が書かれています。

ではどうすべきか

 こうした状況にも関わらず県内での指定が3地区、10.4haに留まっているのは、土地所有者が開発規制を嫌うことと、行政側にも買取請求のための予算措置が求められることが理由と考えられます。
 しかし、幸いなことに天覧山・多峯主山周辺緑地の多くを所有する西武鉄道は保全の方向だということですから、土地所有者側の問題は少ないと思われます。
 また、県では、今年度「広域緑地計画」の策定を進めていて、これは緑の実態調査を踏まえて、具体的な広い緑地を対象とした保全計画とするようです。策定に当たって今後市町村との調整や市民からの意見公募も行われると思われます。予算面でも、これまた現在県で「みどりの環境税制(埼玉県独自の目的税)」を検討していて、試算によればこの税制を踏まえた年間20億円の予算のうち半分の10億円を緑地の公有地化のために使うとなっています。これらがうまくマッチングすれば緑の需要供給の両面から課題が解決されることになります。
 県の計画がどの程度具体的なものになるか分かりませんが、飯能市は「緑の基本計画」を平成24年度までには策定するとしています。これは県より詳細なものになると思われますが、こうした計画に天覧山・多峯主山地域がいかに位置付けられるかが保全に当たって重要になってきます。
さらに、県では、今年10月から「市民管理協定制度」を創設します。これは、土地所有者が市町村に緑地を一定期間無償提供し(税や管理負担が軽減されます)、市町村が市民団体に管理委託して緑地を保全する場合に「県都市緑化基金」を活用して市民団体に対して管理費を補助するものです。「特別緑地保全地区」のような都市計画決定には時間がかかるかも知れませんので、現在の荒れつつある緑地を早期に整備するには、とりあえずこうした制度を活用してみるのもいいかもしれません。
 いずれにしても、市民だけ、あるいは行政だけで検討していても話は進みませんので「市民環境会議」や「エコツーリズム推進協議会」などの場を活用して、関係者間での話し合いを行うべき時に来ていると思われます。
 
 

U 「人に愛され続けてきた山ーー天覧山・多峯主山」          (財)日本自然保護協会 保護・研究部  廣瀬 光子
  
 私が初めて天覧山の自然と歴史に触れたのは去年の夏のこと。仕事柄、関東近辺の代表的な「里やま」を見てきたが、そういう場所には一つの共通点がある。その土地に愛着を持ち続ける人達がいることだ。日本のような狭い国土で人口密度がこれほどに高ければ、残されている場所には残されるだけの理由があるはず。天覧山が残されてきた理由はなんなのだろう、と思いながら待ち合わせの駅に着き、山に向かって歩き始めた。
 まず目に入ったのは、駅前の古い建物からなる町並み。明治〜昭和初期の建物が点々と残り、人々の地域への誇りと愛着が感じられた。
その感覚は天覧山の中でも続き、能仁寺や山道沿いにある十六羅漢からは、この地域を大切にする思いと信仰との深い関わりが伺えた。また源義経一行が東北に逃れる時に通り、振り返った景色のあまりの美しさに涙したと言われる見返り坂や、天皇が軍隊の調練の様子をご覧になったと言われている天覧山など、古くからの歴史や言い伝えがそこここに残されていた。それは、ここに関わる人たちがこの場所を愛し、一つ一つの出来事を大切にし、後世に伝えてきた証拠だろう。だからこそここは残り、またわざわざ説明するまでもないすばらしい自然が保たれている。この地域の自然は、歴史と共に結びついて残っていることにこそ価値があるのだと思う。地域の人々の生活と歴史と自然とが深く結びついた天覧山・多峯主山周辺こそ、来年施行される文化財保護法の改訂により新しく加えられた「重要文化的景観」(※参照)として、最もふさわしい場所と言えるだろうただ、多くの人に愛されることは良い面だけではない。地域を良くしたいという思い、自然を愛する思いは共通であっても、その人たちにとっての理想が同じではないためである。花が美しいからといって園芸種を勝手に植えたり、そこに生息していない生き物を放したりすることは、この地域の生態系を大きく壊してしまう可能性を持っている。西武鉄道が開発計画を撤回し、エコツーリズムの試みも本格化していけば、今まで以上に多くの人がこの地域を訪れることになるだろう。子どたちに引き継ぐべき地域の宝・天覧山がどうあるべきなのか。これを地域の人たちだけでなく、ここを愛する多くの人たちとともに考え、合意を作ることが今一番大切で、また今後最も難しい問題となることだろう。その意味で、天覧山・多峯主山の自然を守る会だけでなく埼玉県と飯能市、そして地権者である西武鉄道への期待は大きく今後の展開が楽しみである。               ※http://www.bunka.go.jp/pr_fr1.html参照

 

V 大岡便り     遠藤夏緒(農楽里ファーム)   

 長野市大岡(旧大岡村)は、聖山(ひじりやま)の西側斜面に位置し、山斜面にはのどかな棚田の景観が広がっている。北アルプスを屏風のように眺めることが出来るので、「アルプス一望の里」としても知られている。
 本格的に有機農業に取り組むために飯能から大岡へ移住し、三ヶ月程が過ぎた。充分な経験もないままに、標高八〇〇メートルというまったく環境の異なる土地で新規就農しようというのだから、「有機農業」ではなく、「勇気農業」だと笑われている。


大岡より北アルプスを望む

 飯能との気候の違いは春の遅さで痛感した。四月に入り、雪が解けても暖かくならない。薪ストーブを昼夜燃やし続け、夜は湯たんぽを抱いて寝る日々が五月まで続いた。寒がりの私には本当に辛かった。そして、標高差一〇〇メートルの棚田での農作業。一輪車を押しながらこの棚田を縫って歩くのはかなりの重労働だ。また、田と田との段差(「はば」と呼ぶ)が四〇度はあろうかという急斜面で、草刈には本当に骨が折れる。
 でも同じ集落にすむじいちゃん、ばあちゃんたちはすこぶる元気だ。腰がへの字やくの字に曲がっていても、毎日野良に出て働き、私たちにいろいろなことを教えてくれる。作業が思うようにはかどらず嘆いていたときなど、「百姓はあせってはダメだ。」と声をかけてくれた。そして、「一年目はこの土地に慣れることだ」と優しく笑う。そびえ立つ「はば」の草刈も難なくこなし、刈った草を畑に敷いて利用している。これは、畑の雑草を抑えるだけではなく保水効果もあり、またやがては肥料ともなるので一石三鳥の知恵なのである。
 元気なのはお年寄りばかりではない。植物も、虫もすべての生き物に勢いがある。草の伸びもすごい。目にする機会が増えたからかもしれないが、見たこともない虫がたくさんいる。カエルも、埼玉では指定希少種のイモリも当たり前のように田んぼのなかで泳いでいる。
 飯能とはまた異なる豊かな自然がここにはある。機会があれば、是非この大岡に遊びに来てください。    


 

W 自然と共に生きる……ってこういうこと?    守る会 浅野哲示

 今年初め、西武鉄道が天覧山・多峯主山周辺の開発計画の白紙撤回を発表した。思いがけないことだった。この間までは考えられなかったが、今の「守る会」の一番大きな問題は土地所有者の利益も考慮しつつ、破壊を免れた自然をどう維持していくかと言うことだ。
 いま「エコツーリズム」という枠組みの中で、どう自然を守り、地域経済にも生かしていくかという考え方が現実的になってきている。
たとえば天覧山・多峯主山の谷津の一つ「天覧入り」で蛍を見ましょうと案内をする。すると予想を遙かに超える人たちがやってくる。蛍を捕らないで下さい。さわると個体が傷つきます。いっぺんにたくさんの人が歩くと、元の場所の環境が変わってしまう……
 会員同士の話し合いで、環境を守るためにいろいろ案が出、プランがだんだん現実味を帯びてくる。どうしても行動を制限する内容が入ってくる。それに伴って違和感がふくらんでくる。こどもが捕ったって虫は絶滅しない。でもそこの大切さを知ってもらうためでも、たくさんの人が入れば事情は変わる。捕ってきた蛍はすぐ死んでしまう。悲しいけれどそういうものだ。それを教えられずに、子供に蛍を捕ってはいけないと言うべきなのか?
 この、自然の規模に対する人口の多さの問題が、未だに私には体感として理解できずにいる。今後さらに訪れる人が増えるだろうことを考えるとなおさらだ。捕ってきて部屋に放した蛍の美しさは、今や夢なのだろうか?      

 

X 編集後記 

 また今年もホタルの季節がやってきた。我が家の前の名栗川では乱舞とはいかないが、今年も優美な光を灯し舞っていた。だが毎年数が少なくなってきていると思うのは私だけではないだろう。▼ホタルは人寄せパンダとして環境保護を訴えるには最適である。しかし反面、湿地に人が多数踏み入ることによって悪影響を与えていることも事実である。守る会もそれを懸念して、今年から参加人数を制限した。▼昔の人はわざわざホタルを観にいかなくても家に飛んできたという。当時のような乱舞する姿を観てみたいものだ。     (あき)