T 代表より
「天覧山・多峯主山の自然を守る会」が発足してまる10年の今年1月、天覧山・多峯主山一帯に計画されていた宅地開発が中止になるという大ニュースが報道されました。記事によれば、事業者である西武鉄道の決断は、当会が求めて来た開発変更を大幅に上回る「住宅分譲地を全面的に中止する」という突然の急転回であった事から、夢ではないかと疑うほどに驚かされました。これまで、いかなる提案を行なっても、常に開発予定地である事が重く障壁になって空論と化してゆく運命を背負っていなければならなかった現状がありました。でもこれからは、開発という呪縛が外れたという事実により行動が実りあるものになってゆくと考えられます。
振り返れば、この日を迎えるまでには幾多のいばらの道を歩まなければなりませんでした。
今から28年前(1977年)にもこの地に百haもの開発計画が持ち上がった事があり、故新井清寿氏(郷土史家・元飯能第一小学校校長)が代表となり「天覧山付近の自然を守る会」が結成されたのでした。全国のさきがけとも言える飯能市民による自然環境保護運動は、1987年その一部(24ha)を緑地として保全する事が出来ましたが、約七五haもの市街化区域編入を余儀なくされたという結果を強いられたのです。その後、実際には開発は行なわれないままの状態が続き、やがて歳月の経過と共に当時の「自然を守る会」の活動も、また市民の意識も薄れていきました。
それから17年後(1995年)突然に新たな開発計画の事業申請が出されたのです。しかも、守られたと思っていた24haの緑地の中に幅12mの横断道路と小・中学校が建設されるという仰天する内容でした。さらに皮肉な事に、二八年前の「自然を守る会」の旗頭のひとりであった小山誠三氏が、この時には市長として開発を進める側のトップであったのです。このような経緯を知る人達の中からこの事業計画に異論が唱えられ、やがて新たな市民を巻き込んで市民運動が開始されたのです。こうした歴史の上に、現在の「天覧山・多峯主山の自然を守る会」が設立され、その意志が引き継がれて来ているのです。
とにかく開発は止まったのは事実。しかし永久保全された訳ではなく、ここで手を放したら過去の苦い経験を繰り返す事になりかねません。故新井清寿氏も夢に見ていた市民と行政と事業者が協働する場となるべき「市民環境会議」も立ち上がり、環境省モデル事業に選ばれた「飯能・名栗エコツーリズム」もスタートしました。今こそ事業者である西武鉄道や行政と対等の立場から天覧山・多峯主山一帯の保全を共に考えていける時が来たのではと思います。
この大きな変化によって、天覧山・多峯主山一帯が真に飯能市民の誇れる場所となる時がすぐそこまできたのだという気がしています。
V このかけがえのない宝、飯能の自然
ここに1冊の本がある。タイトルは「緑のまちと市民たち」、サブタイトルは「市民が守った飯能の自然」(宮田雪編
三一書房)。今から二八年前、飯能のシンボル的存在でもある、天覧山・多峯主山一帯が調整区域から市街化区域に変更になる、という突然のニュースが全市内にかけめぐった。そのことに衝撃を受けた市民たちの、1年に亘る自然保護活動の記録である。短い期間に集めた一万五千人の署名。県や市や、当該デベロッパーとの交渉。その結果、わたしたちが守り得たのは、全体の中ではわずか一つまみの24ヘクタール。その活動が成功だったか不成功だったかは、各人の価値判断にまかすより他はない。
それから17年、開発された団地から新駅へのアクセス道路取り付け工事着工、見返り坂近辺の宅地造成着工などが現実味を帯びてきたあたりから、新たな運動が起きた。第2次「天覧山・多峯主山の自然を守る会」の誕生である。すでに私には、新しい世代のエネルギーと互角に亘り合う体力は残されていない。今回は影の協力者でありたいと願い、ずっとそうして来た。
ところがここに来て、これまた余りにも突然な、デベロッパーからの、開発から撤退の申し入れである。本来なら双手をあげて万歳と叫ぶべきところだが、その土地は依然として、大手デベロッパーのものである。長い間には、いつ又開発の話が再燃するかわからない。このかけがえのないわたしたちの宝、飯能の自然、これからも子々孫々に亘って守っていかなければならないと、声を大にして伝えておきたいと思う。
W 武蔵丘分譲地開発計画の中止に関する説明会について
2月20日、富士見公民館において、市長並びに市の関係部署の責任者列席のもと「武蔵丘分譲地開発計画の中止に伴う今後の対応について」に関する飯能市主催の説明会が開催された。説明会は、開発に関するこれまでの経緯と開発を取りやめた理由及び今後の市の方針について市長が説明し、その後質疑応答を取り交わすという形で行われた。
まず、当該開発地域が市街化区域に編入された1979年3月から、西武鉄道より武蔵丘分譲地開発計画を取りやめたい旨の申出のあった本年1月13日までの経緯についてかいつまんで説明された。次に、西武鉄道が開発計画を取りやめたのは、現在の社会情勢等を考慮すると、郊外における大規模住宅開発は、今後ますます厳しいものになっていくと予想され、飯能日高分譲地等相当数の販売用宅地が残っていることもあり、中・長期的に総合判断した結果だという。
そして、今後の市の方針としては、西武池袋線と国道299号との間の地区を除き、市街化調整区域に変更し、用途地域は廃止すると共に市が建築する予定だった南台第二地区より天覧山・多峯主山の谷地を横断する武蔵丘武蔵台線という幹線道路開設、及び小中学校の建築を廃止することが挙げられた。今後の予定としては、都市計画審議会、市民説明会、市議会全員協議会で概要等を説明し、その後都市改革の変更の手続を進めるとのことである。
今回の説明会で、当会が宅地開発計画と同様に危惧していた市による道路計画並びに小中学校の建築計画も廃止されたことにより、天覧山・多峯主山周辺の地域の形状は、当分の間保たれそうである。しかしさらに踏み込んで、里山としての生物多様性の豊かな当地の自然を守っていくためには、市や所有者との協力が必要不可欠である。その意味で、市長が質疑応答の際「今後の土地の利用に関しては、市と所有者と守る会他市民と協議しあっていく」と答えたことは意義のあることだったと思われる。
2月19日(土)に、飯能市の主催するエコツーリズム・シンポジウムに併せて、「地域の自然とエコツーリズムー(ここは2字分の線)天覧山・多峯主山の保全に向けて」と題し、第九回奥むさし環境講座を飯能市郷土館で開催しました。講師は自然観察指導員・森林インストラクターであり、県レッドデータブック植物編の改訂を担当している太田和夫氏です。
講演内容は次のとおりです。
「エコツーリズムとは?」環境省の定義によれば、@自然・歴史・文化など地域固有の資源を活かし、A観光によってそれらの資源が損なわれないよう、保護・保全を図り、B地域資源の健全な存続による地域経済への波及効果をねらいとした旅の形式。
自然生態系の豊かな天覧山・多峯主山地域において、エコツーリズムで懸念されるのは、観光が優先され自然保護がなおざりにされることである。そこで地域の中を目的別にエリア分けし、観察会を行える場所と自然を保護するため人が立ち入れない場所などに分けるゾーニングは不可欠である。またそれに伴い、ゾーンごとの環境を維持向上させるためのガイドラインはぜひとも作るべきであり、ツアーガイドやコーディネーター育成も重要であると述べた。最後に、エコツーリズムで大切なことは、一人ひとりの市民が郷土の自然と文化を知り、誇りを持ってツーリストと接することだと締めくくりました。