@日よう日ふる里散歩『俳句でハイク』
講師は山口雄二さん(自由の森学園講師)にお願いしました。
句会の例に倣って、お題を五つ設定。それぞれ俳号も考えていただきました。
馴染みのない俳句への不安を抱えながら、『俳句でハイク』はスタートしました。参加者は講師を含めて男性六人、女性四人の十人。正式な吟行とはほど遠いものの、俳句に向き合っての歩きです。普段は横切るだけの羅漢さん一体一体の違いにも目がゆき、新鮮な驚きで話もはずみます。
あずまやで一服。ひとしきりの会話の後は、ただ蝉の声のみ。全員がおもいおもいに立ち、座り、歩き、感じて、言葉を探します。やわらかな緊張感に包まれた、心に残るひとときでした。
ホタルの里まで降りて来ると、土がめくれあがっています。あらためて異常気候が心配になりました。
中央公民館に場所を移しての合評会で、票の入った句を紹介します。
『天覧山』
古き世を 語り語らぬ 羅漢さま (土夢)
登りきて さて一句をと ペンを持ち (虫ぺん)
愛宕山 羅漢天覧 次はなに (玉露庵)
『空』
夏もやの 空に登る サイレン音 (信)
空見上げ 羅漢も叫ぶ 雨よ降れ (カナカナ)
槙の葉が 幾重にも重なり 白い空 (ほおずえ)
狂い夏 色即是空 蝉の声 (玉露庵)
『虫』
ひとやすみ したたるみどり せみの声 (キツツキ)
蟻を見て あれこれ悩む ばからしさ (ありんこ)
腹の虫 求むは麦の水ばかり (カナカナ)
『恋』
暑き陽を 集めて紅き さるすべり (土夢)
水不足 恋も芽生えず 実もならず (カナカナ)
『ふる里』
ふる里に にしきかざれぬ 今の俺 (キツツキ)
ここに来て 子等はふる里 我はなし (ありんこ)
選者特別紹介句、
お題『虫』
交尾して 悶絶果てぬ アブラゼミ (乳首)
昨年度、天覧山・多峯主山一帯で行われた間伐に対し、放置されたままの間伐材を活用しようと木馬づくりを実施しました。それと時を同じくして飯能商工会議所では、世界最大級の木馬を作ろうと企画が進んでいました。
木馬づくりは、低迷している地場産業である林業の活性化、森林および里山も含めた自然環境の保全、さらには商店街の活性化も視野にいれた壮大なプロジェクトです。これまで、ばらばらに対応していた問題を「木馬づくり」を通して一緒に考えて行こうとするものです。
世界最大級の木馬づくりでは、公の商工会議所が音頭をとっているので、広範囲な市民参加の形が可能となりました。間伐作業の実体験、木馬(きうま)を使った間伐材の搬出、ミニチュア木馬づくりと巨大木馬デザイン作図、巨大木馬の胴体に間伐材を取付ける作業、名前の公募等、市民の参加できる機会をたくさんつくり、みんなの木馬として親しんでもらえるようにしました。
多くの人達の手によって巨大木馬は平成十六年七月十九日に完成しました。子どもたちがうれしそうに巨大な木馬によじ登る姿が印象的でした。この日、名前発表が行われ「夢馬(むーま)」と命名されました。かつて木馬(きうま)で運ばれていた西川材は木馬(もくば)になって夢を運んでくれそうです。 文責・浅野正敏
※注 木馬(きうま)とは、山から材木を運び出す為のソリのことです。
NACS-J 自然観察指導員 大石 章
蝶は、比較的名前を覚えやすく、ハイキングの際お花畑などで蝶に出会うことも多いので、山歩きをより楽しくしてくれます。天覧山・多峯主山周辺は、埼玉県内で確認された種の約半分に当たる60種以上の蝶が生息している貴重な自然環境です。今回は、これからの時期に天覧山・多峯主山周辺で比較的よく見られる蝶を紹介します。
これから見られる蝶ということですが、実は秋や冬だけに発生する蝶はいません。蝶は卵―幼虫―蛹―成虫と「完全変態」して発生する昆虫で、春から秋にかけて年に数回発生する蝶も少なくありません。
蝶を見つけるには、行動の習性や食草・食樹を知ることが重要です。多くの蝶は食草・食樹周辺をよく飛び交いますし、成虫がいない時期でも幼虫や蛹が観察できて楽しめます。
アカタテハ(タテハチョウ科)
黒と茶の地に鮮やかなオレンジ色の模様の中型の蝶で、ホタルの里のアザミの花で吸蜜していたり、天覧山山頂などでこのように翅を広げて日向ぼっこしているのが見られます。
幼虫は、イラクサ科のカラムシ(道端に生え、ギザギザのある大きな葉の草)などを食べますが、幼虫は葉を丸めて白い葉の裏を見せるように巣を作りますので、すぐに見つかります。
ウラギンシジミ(シジミチョウ科)
シジミチョウ科の蝶は、その名のように小さい蝶の仲間ですが、ウラギンシジミは中でも一番大きい蝶です。夏と秋に発生し、秋に数が増えて、成虫のまま越冬します。
羽の裏が一面銀色で、白く輝きながらチラチラと飛んでいる蝶がいたらこの蝶です。最初翅を閉じてとまりますが、翅を開いてくれるとオスなら黒地にきれいなオレンジ色の紋が見られます。熟れた柿で吸汁していることもあります。幼虫は、クズ(葛切りの原料となるマメ科のつる植物)などの花、つぼみを食べますので、その周辺もよく飛んでいます。
ムラサキシジミ(シジミチョウ科)
これも少し大きめのシジミチョウで、翅裏は地味な薄茶色ですが、体を温めるためによく翅を広げてとまり、黒地に鮮やかな紫色の紋を見せてくれます。
年3回程発生し、成虫のまま越冬します。当地域に沢山ある食樹のアラカシ(卵形で先半分にギザギザのある葉のカシ)の周りを黒っぽい小さな蝶がチラチラと飛び回っていたら本種です。冬でも暖かい日には飛びますので、アラカシを見つけたら蹴飛ばしてみると会えるかも知れません。
オオムラサキ(タテハチョウ科)
ご存じ切手にもなった国蝶ですが、国ではなく日本昆虫学会が一九五七年に決めたものです。全国に分布し、色彩鮮やかにして羽ばたきが聞こえるほど勇壮な蝶であり、納得の選択だと思います。
オオムラサキは夏の雑木林を代表する蝶で、絶滅が危惧される蝶になってしまいましたが、ここではまだ見ることができます。夏の終わりに食樹のエノキに卵を産み、冬は樹の根元で幼虫で越冬しますので、落ち葉を丹念に探すと比較的容易に出会うことができます。そのため、エノキの根元は掃除しないようお願いしたいものです。
「はんのう市民環境会議」は、市民、事業者、団体と行政がお互いに協力し、環境保全への取り組みを実践する組織として設立され、自然環境、生活環境、地球環境の三部会で構成されいます。守る会も団体として、自然環境部会を中心に、積極的に参加しています。
自然環境部会の本年度事業目標は「現状の飯能の自然を知る」ということで、自然環境について活動している個人や団体と連携し、情報収集を行います。
この一環として、守る会が本年度初の部会において、天覧山・多峯主山の動植物の実態について発表しました。まず、自然、史跡、文化財を収録したビデオ放映、立体地図模型による詳細な植生と全体像説明、自然環境の調査活動から得た動植物の写真を解説しました。参加者は改めて天覧山・多峯主山の自然環境の素晴らしさや貴重さを認識して下さったようです。今後はこの自然調査の結果を基に、保全活用案を作成し、県民休養地構想、エコツーリズム計画への提案・提言・監視をして行くのが守る会の立場であると思われます。また、それが出来る土壌がこの「はんのう市民環境会議」によって出来たと感じました。
(会員 山梨)
こんにちは。いつも「やませみ」のデザインとイラストを担当している石岡真由海です。
守る会とのおつき合いは0歳の娘をしょいこに入れて天覧山・多峯主山のふる里散歩に参加した9年前。この会の黎明期をご一緒させていただきました。が、程なく広島県へUターンすることになり、以来遠距離参加でお手伝いしています。
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小さい頃は全くの自然オンチ。野遊び・生物観察に余念のない兄に「何がそんなにオモシロイの?」当時のテレビ番組「野生の王国」「すばらしき世界旅行」に感動の雄叫びをあげる家族に「歌番組見せて〜!」と、我が道を行く私でしたが、どこでどう転んだのか、自然が綾なす森羅万象の妙にしびれ、現在縁あって野山田畑のある町はずれで半田舎暮らしをしています。人間何がきっかけでこうなるのか、ホント、わかりません。だからこそ守る会の活動が、私のような「突然変異種」発生のきっかけになるはずと、希望的観測をしています。
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さて、兼業農家の我が家は勢い自然の恵みを取り入れなくてはなりません。日々の暮らしの中で実感していることは、いつも次の季節の準備をしながら今の季節を生きるということ。農作業しかり、周辺の山谷
しかり、まだまだ百分の一人前にも満たないド素人田舎暮シストの私ですが、こんな循環の中に身を置ける安心を強く感じます。これこそ安全保障と感じ入ることしきり。
ところがどっこい、周囲の子どもたちは裏山に足を踏み入れたことの無い「かつての私」ばかり!高齢化で手が入らずに荒れ放題ではあるけれどしかし、今ここにあるフィールドに子どもたちを誘い、彼・彼女たちの突然変異を期待しつつ策を練るわけです。そんな時守る会の活動は私に多くのヒントと元気をくれます。遠くにいてもつながりあって、それぞれの場所に希望の種をまく…これからもここ広島で応援しつづけますね。
(広島県府中市 石岡真由海)
十年以上前、ヨーロッパを旅行した時のこと。ドイツのとあるスーパーの店内で最初に目に飛び込んだのは、洗濯機ほどの巨大ゴミ箱。なんだろう?そのなぞを解くために、さっそく買い物客を装いドイツ人の行動を横目でチラチラ観察。すると、精算を済ませた客が、買ったばかりのシリアルの箱を突然バリバリ破き始めるではないですか。むむむ・・・。私の眼はすっかりそのドイツ人に釘付けになりました。無残な姿となったシリアルの箱は、ついに洗濯機大のゴミ箱へ。そして、彼女はシリアルの入った銀色の内袋をマイエコバックにおもむろに入れて、スーパーを後にしたのでした。つまり、余計な家庭ゴミは出さずに買ったお店で回収するという、リサイクルシステムが生活の一部に確立されていたのです。小さなカルチャーショックでした。
(姫)