目次
1.代表年頭挨拶・・・代表 浅野正敏
2.自然と共に生きる・・・埼玉県環境アドバイザー 内田康夫
3.知っていますか「ヤクタネゴヨウ」
・・・山口久美子
4.第七回奥むさし環境講座「里山活用術」に参加して・・・森林インストラクター 古橋俊英
5.編集後記・・・すずきひろこ
1.代表年頭挨拶
2003年の年が明け、当会の活動も8年目を迎えます。飯能の歴史と文化、豊かな生態系を有する天覧山・多峯主山一帯の自然は今年も存在しています。
このところ、当会の多彩な活動の中でも一番に挙げなければならない事は、詳細にわたる天覧山・多峯主山の自然環境調査が行われ、それがまとめられた事です。これにより当会会員はもとより、多くの市民・県民の方々にデータを通してその大切さを知っていただくことができました。それは「天覧山・多峯主山自然博物館」と銘打った展示会の開催へと繋がり、これからも多くのことを伝えてゆくことができると考えています。こうしたデータは、外来種・移入種の問題や、森林の手入れ等の対応を含むよりよい自然環境の維持に対して、また自然環境学習の場としての利用方法に対して的確な対応を図ってゆくことを可能にしてくれました。
昨年より天覧山・多峯主山一帯にある杉・檜の植林地の間伐作業が県と市によって実施されていますが、当会の申し入れを受け、自然環境保全に配慮した施業が行われています。これは、調査により明らかになった希少種植物や、この地を訪れるハイカーを楽しませてくれる30種程の花木を保護しようというものです。間伐作業区域は、市有地のほか多くの民有地を含みますが、多くの観光客の目に触れる地域であるため、公的資金が投入され、手入れがなされています。
こうした事実からも、天覧山・多峯主山一帯の森は、飯能の顔として欠くべからざるものである事がうかがえます。この場所の多くを所有する西武鉄道鰍ゥらも、この地の団地開発の見通しは当分立たないとの話も伺っています。タイムリーにも沢辺飯能市長の公約であった環境市民会議も立ち上がり、市民・行政・企業が共に語り合う場となる「環境市民会議」立ち上げのための準備会が設立される事となり、当会もこれに参画し協力してゆくこととなりました。飯能市の将来を見据え、今では貴重となったこの地の自然環境を生かした、新たな活用方法を一緒に考えてゆければと願っています。
2.自然と共に生きる
めったにないことですが、時に何気なく覗いた叢に小鳥の巣があって雛がいて、しかもすぐ近くに雛をねらっているヘビがいて……という場面に出会うことがあります。こういう場面に立ち会ってさてどうするかということですが、フィールドワークのマニュアルなどでは、これはヘビの正常で正当な食事行動であって、いっさい干渉してはならないといった風なことが記されています。
でも本当にいつもそうなのでしょうか? 確かに、この見解は生態学的には正解です。でも、もしそれが市民の観察会の時のことで、小さな子供たちもいて、彼らもヘビにねらわれた雛を見つめているという場合、リーダーや親は食物連鎖がどうのこうのと理屈を並べて、雛がヘビに飲み込まれるところを冷静に眺めていて、それで本当にいいのでしょうか。もし、子供たちが雛がかわいそう!何とかして!と泣き叫んだらどうします?
おまえは間違っている、泣くのはおかしいと叱りつけますか? あくまで生態学の理論を言い立てますか?
フィールドワークには、多かれ少なかれ、こうした野生の生き物に関わることで、ちょっと判断に迷うときがあるものです。このヘビにねらわれた雛という場面についても、あらゆる場合に適合する正解なんて無いのです。
では、どうするのかということになりますが、私の答えは『適当にその場に応じて』ということです。適当に、などというのはきわめて無責任、その場逃れ、無定見、日本人の欠点……といった非難が飛びそうですが、私は一向に構いません。適当に、というのはきわめて妥当性が高いと自負しています。
そもそも、ああしろこうしろ、そうすべき、すべからずなどと一括して規定するのは、人間とか生き物とかの柔らかくて不安定でいい加減でそれぞれまちまちな存在には、適合しないのです。適当に、その場に応じて、といった流動性柔軟性が似合っています。あらゆる法律・規則・マニュアルは、そうきっちりとは守られない運命にあります。それでは、リーダーや親は気楽かというととんでもありません。その逆です。むしろ規則通り、マニュアル通りで行く方がはるかに気楽です。
適当に、応じて、ということは、その場に臨んで素早く最適の対応を決断し実行し、居合わす皆も納得する結末を作り出さなければならないからです。それには、即決、状況把握、ある種の演技など、当人の人柄や説得力といった総合的能力が要求されるでしょう。
例えば、こんなのはどうでしょう。
「ア、ちょっと雛がかわいそうだよネ。ヘビもせっかくご馳走見つけたのに気の毒だけど、今回は別のもので我慢してもらいましょう。本当に悪いけど、ちょっとあっちへ行ってくれるかな。あ、そうそう。悪かったねエ。バイバイ。」
3.知っていますか「ヤクタネゴヨウ」
いつも「やませみ」を端から端まで読んでいます。もう六年の付き合いになるでしょうか。私にできることは何だろう?
そう問いかけてくるものが、この中にはギッシリ詰まっています。隣の町や村へ、また旅に出たときなどは、決まってその場所で自然を守るべく闘っている人々や、行動そのものに出会います。そんなとき、私は「あっ
ここにも『やませみ』がある」と、そんなふうに言ってしまいます。「やませみ」って会報誌のタイトルなのに、もう頭の中にきっちりと収まってしまっているのでしょう。
さて今夏、私は屋久島を訪れました。もちろんこの島が世界遺産であることも、縄文杉があることも知ってはいましたが、目的は山登りにありました。2000m級の山々が重なるようにしてこの島を作っています。海岸からわずか5q程入ったところで、千mを越す山々がニョキニョキと島の周りにそびえ立つ光景は大迫力でした。花崗岩と雨がこの島を作っています。岩に根を張り、雨に打たれ、台風の強い風にさらされながら育まれた生命(いのち)を目の前にすると、言葉にならないものが胸に突き上げてきます。急坂をただひたすら登る。木の根や枝を足がかりに、手がかりに。そして下る。天からの水が山を下る。私たちはこの山で飲み水に困ることは有りません。この山の水は全部飲めるのです。やわらかい水が喉を潤してくれます。二度の山入りを果たし、川にも海にも人々にもどっぷりと世話になりながら、さて、私たちが作ったゴミはどうなる。排水はどうする。人々がどっと押し寄せることで傷つく木々はどうなる。と、またいつもの問答が私の中で繰り返されます。「とにかく、自分が生きて行くための最低で最高のものを、旅のために準備しよう」それが私のいつものやり方です。結局、今回は森の生き物を見習おう!
ということでしょうか。
さて、いよいよ旅も終わりというところで、私はとても興味深いものに出会いました。ヤクタネゴヨウ。いったいどんな動物?
実は『屋久島と種子島にのみ自生する五葉松で漢字では「屋久種子五葉」と書きます。ヤクタネゴヨウの生存木は種子島で約100本、屋久島では1000から2000本と推定されています。ヤクタネゴヨウはその生存木の少なさから、レッドデータブックに絶滅危惧種として記載され、今や両島において最も保護、保全が必要な種の一つです』(ヤクタネゴヨウ その種と文化パンフレットより)ついに、また「やませみ」に出会ってしまいました。ヤクタネゴヨウを絶滅から保全へと行動を起こした人たちに出会うことができたのです。彼らの会報誌は『ヤッタね!
通信』。『ヤッタネ調査隊(ヤクタネゴヨウマツ調査隊)』は一本一本の木の状態を調べ上げるのに、月に一度山に入ります。現在、保護・保全のための基礎データを作成中です。屋久島の山は「人を喰う山」と言われるほど厳しい山です。ヤッタネ調査隊の仕事も厳しいものがあります。世界遺産登録とは『このような地道な闘いを続けます!
守ります! ということを世界に登録した』ということに他ならないような気がします。またひとつ、旅に出ることが楽しくなりました。また「やませみ」を見つけましょう。そして今度は参加しましょう。
4.第七回奥むさし環境講座「里山活用術」に参加して
昔の里山では、コナラやクヌギ等の雑木林を十五年〜二〇年毎に伐採し、萌芽更新させて、薪炭の生産を継続的に行えるよう管理保育してきた訳だが、現在の里山は多くの問題を抱えているとして、講師の中川重年さん(神奈川県森林研究所専門研究員)が以下問題提起された。
第一の問題は、薪炭が化石燃料に、堆肥が化学肥料に置き換わり、雑木林古来の用途が失われたことだが、用途開発は里山を保全する上で必要不可欠。また木材の約三分の二以上が産廃になっている点を指摘。これからは建築家が中核的役割を果たすべきだと提言。鉋屑は保温材として壁と壁の間に詰込む、ゴミを出さないよう材を丸ごと使用する、炭を調湿剤として床下に使用するなど、マイナス要素をもプラスにする発想の転換で付加価値を創出し、生活者に価値観の変化を促すような提案をすべしということであろう。また、全てを使い切るバイオマスエネルギーの利用も提言された。幸い西川地域で木質資源活用センターができ、木質ペレットを来年三月より生産開始予定と聞く。
第二の問題は、人手をかけての里山の保全が経済的に成り立たないということにある。採算を無視して山から木材を搬出することは出来ず、市民が行うしかないと言い切られた。
第三の問題は、放置された雑木林は植生遷移が進行中であり、これにどう手を加えるかの問題である。里山の雑木林は人との共生で成り立っていた二次林であり、人が全く手を加えなければ、この地域の気候的、地理的条件によって植生は変化し、最終的にシラカシ・アラカシを主とし、一部にスダジイが混生した常緑広葉樹と、一部に常緑針葉樹としてモミが優占生育する安定した森林になると思われる。放置するか、皆伐するかで、林床に育つ草木は変化する。手をつけなければ現状維持が出来ると思ってはいけないと話された。さらに、目的に適った保全をするには、里山の利用目的の明確化が必要であり、植生が多ければ多様性維持を目指す環境学習の場所にし、植生が少なければ公園化する、という風に保全の仕方は大きく異なるということで、さまざまな森林利用の例を示された。
最後に感想として、市民の多くが森林についてもっと深く学び、保全活動に積極的に参加すること。守ろうとする里山をどう利用したいのか植生調査の結果を生かし、ゾーン毎に利用方法と保全の仕方を早急に立案すること。保全活動の体験を積み、指導できるリーダーを育成することの必要性を強く感じた。
5.編集後記
飯能に住んで早20年。毎年少しばかりの畑を耕してきましたが、年ごとに気候が極端になってきていることを実感しています。2002年も多くの新記録を残しました。特にこの夏の暑さと少雨は経験したことのないものでした。ところが、ほとんどの夏野菜が伸び悩む中、オクラだけがぐんぐん伸びていくのです。見るとオクラの根元だけが水を撒いたように湿っています。僅かな朝露が葉から葉柄、茎を伝って根元に集まる仕組みのようです。厳しい自然に適応して生き抜くオクラの智恵に感服しました。人間の世界でも自然を改変するのではなく、人間の行き方を自然に適応させていく智恵や技術を発揮していきたいですね。