目次
1.飯能市市議会議会議員に公開質問・・・代表・浅野正敏
2.日曜日ふるさと散歩
3.第5回奥むさし環境講座に参加して・・・遠藤夏緒
4.自然と生きる・・・林 伸子
5.総会報告・・・早瀬 成憲
6.ホタルの郷 命の物語・・・黒住浩次
1.飯能市市議会議会議員に公開質問
先般4月22日に投票が行われ、新しい飯能市市議会議会議員が選出されました。当会では、この選挙に先立ち立候補を予定された方々に対し、当会の目的としている「緑と清流の保全」について、3項目の公開質問をさせていただきました。
4年前の同市議会議員改選の際にも、当会から同様の公開質問をさせていただき、多数が無回答であったという経緯があります。しかし、今回は80%近い回答を頂き、市民の立場で本当に大切にすべきことを言い続けてきたのが、やっと受け入れられてきたという実感を強く持ちました。そして、その回答結果からは以下に示すとおり開発優先から自然保護・保全を優先させる思考を読みとることが出来ました。
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質問@では、飯能市第3次総合振興計画素案の中で、目標年次(2005年)までの人口12万人を推計人口として8万5千〜9万人としたことにからめて、これからの飯能市周辺丘陵地における団地開発を進めるかどうかを問うものとしました。この質問に対しての回答結果は、何と68%の方に「今後の開発は必要なし」と明確なお答えを頂き、32%の方は「どちらとも言えない」とのお答えで、曖昧な立場を示しました。しかし、「今後も団地開発を積極的に進めるべき」と言う人は一人もいなかったということには驚嘆しました。
総論としての質問@の内容を、各論としたものが質問Bとなっています。ここでは特に「天覧山・多峯主山周辺の保全」にかけて、西武武蔵丘分譲地開発に伴う新たな小・中学校の建設計画と、西武飯能・日高分譲地から延長される道路計画の今後の扱いについてお聞きしました。当会は、多峯主山南斜面に学校と道路が造られてしまうと、水系が分断され、この地の自然生態系が破壊されるため、計画の変更を運動の当初より求めていました。
まず学校建設計画についてですが、飯能市としても少子化を考慮し、今のところ建設はしない方向を打ち出していることもあって、公開質問の回答結果も79・2%の方が「不要」と答え、「学校は必要」と答えた人は一人もいませんでした。道路建設計画については、安藤久夫氏ただお一人「道路建設を推進する」とお答え頂いていたのですが、3月17日付で「迂回案を考える」に変更するとのご連絡を文書で頂きました。(この紙面をお借りして、安藤久夫氏の上記変更表明を公開いたします)
これにより多峯主山南斜面の森の中に道路を建設することについては、道路そのものが必要ないという回答も含め「迂回案を考える」の項目の回答率は、「学校は不要」と同じ79・2%となり「道路建設を推進する」というお考えの方は0人となりました。
以上の結果を見ますと、保守・革新を問わず開発優先を改め、自然保護・保全を主体としたまちづくりとし、多峯主山南斜面緑地には新たな開発は行わないという方向性が、民意を代弁する立場の方々によって、具体的な数字で示されたということになります。
しかしながら、多くの人々が開発より自然を残した方がよいと思っても、豊かな緑地空間を如何に残してゆくことが出来るかが問われて来ます。そのための一つの手段として、Aに挙げた「飯能県民休養地構想」についての問いです。実はこの「飯能県民休養地構想」については、遊園地的なイメージやレジャー施設を作るといった、別な意味での開発となり、自然を壊してしまうのではないかとの疑問をもたれている事実もあります。名称だけではそうした心配を持たれるのも当然なのですが、近年における公園づくりは(埼玉県公園施設係との話し合いの中でも)施設を作るというより自然を如何に残すかに主眼が移っているという状況があります。県民休養地そのものについては、市民も含め新しく議員になられる方々にも納得のいく説明は難しく、伝えづらいものがあります。回答の結果も「どちらともいえない」が50%であったのも頷けます。「飯能県民休養地構想」に対する設問は、その存在の認知自体が重要なことであったのですが、「積極的に進める」とお答え頂いた方が46%有ったことで、今後の活動に対して心強さを感じました。
当会が進めている現地環境調査を元にして、早期に「飯能県民休養地構想」の市民提案が提出できるようにして行きたいと考えています。
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今年7月には、飯能市の首長を決める市長選挙が控えています。1995年に「武蔵丘分譲地開発事前申請」が出されて以来、当会が行ってきた数々の開発変更の申し入れに対して、ことごとく拒否し続けてきた市行政の流れを変革できるターニングポイントとなります。今回の公開質問の結果を読みとり、時勢は正に環境優先、特に飯能は真に誇れる「緑と清流」を宝にしたまちづくりを進めてゆくべきものと考えます。そうしたビジョンを明確に主張でき、また、自分たちの街は市民自身が守り育ててゆくという活動を支援できる行政を目指せる人が首長として選ばれて欲しい。品位と潤いのあるまち、誰ものふるさととしての飯能であることを願って。
以下回答とコメント
市議選前にこの質問に対する回答を、新聞折り込みや街頭配布でお知らせしました。今回回答はお知らせしたとして省略し、選挙前でお伝えできなかった候補者のコメントをお伝えします。(紹介できないご意見もありますが、スペース第一としてお許し下さい。
同じくスペースの制約で回答そのものを再録できませんでした。必要な方は編集局までお問い合わせください)
コメントの要旨
加涌弘貴氏:県民休養地については少し経過を見守りたい。学校についても道路についても現在の段階必要なし。
山田とし子氏:西武や公団など大規模開発中心の街づくりより、市民の生活や福祉を優先した市政でありたい。
村里やすゆき氏:新たな開発は必要なし。県民休養地・学校・道路については無回答です。
和田浩氏:3-A,理念として現地を見たい。
清水邦男氏:1,12万人構想は市の施策で、進行中の開発がすでにあるため(どちらとも言えない)。
2,休養地構想もある面ではハード面もあり、現在具体的なものが見えない。
故 佐野博道氏:3-@,状況が変わったが、学校は環境の良いところにあるべき。(なのでどちらとも言えない)
3-A,状況が変わっている。西武武蔵丘は当分無い。
川上茂氏:内容をよく理解して、是は是非は非でいきたい。
鳥居誠明氏:アンケートは無回答だったがその理由について、選択肢に鳥居氏の意見に近いものが無く、また3のみでは意見がないと誤解されるおそれがあるためという事だった。そのような「回答」の有ったことも報告します。
武藤文夫氏:3,時代の経済の推移による。(のでどちらとも言えない)
金子敏江氏:3,今のところ、道路そのものも迂回案も必要なし。
すぎたひろし氏:1,団地開発は現在は不要。将来は必要になる。
2,「県民休養地構想」を推進してゆきたいが、天覧山は能仁寺の私有地でもある(から)どちらとも言えない。
3,(多峯主山南斜面のみの緑地を保全)するばっかりが主ではおかしい。(のでどちらとも言えない)
6月3日(日)
「ほとけどじょうの里 田植えまつり」 ・集合 能仁寺山門前 9時半
・持ち物 お弁当・田植えの出来る服装
6月30日(土)・7月7日(土)
「ホ・ホ・ホタル来い」の巻
・集合 能仁寺山門前 午後7時
・持ち物 長靴・懐中電灯
8月12日(日)
「川は流れてどこどこ行くの」の巻
・集合 能仁寺山門前 午前7時
・持ち物 川遊びできる服装・午前 中で終わるので、お弁当は自由
9月30日(日)
「秋咲く花と出会える日」の巻
・集合 能仁寺山門前 9時半
・持ち物 お弁当
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3.第5回奥むさし環境講座に参加して
去る3月25日(日)美杉台公民館に於いて田村説三先生の講座『里山を考える』が開催された。田村先生は、目黒自然教育園で植物生態のご研究をなさった後埼玉県下の高校で教鞭をとられ、現在の里山保全のための研究活動に至っている。
最近多くの人が気軽に口にする『里山』とは一体どういうものなのか?
里山を守る、とはどういうことなのか?核心をついた話を期待した。
単刀直入にいって『これが里山だ』という一つの答えはどこにもないそうである。抽象論としてはある。が、具体的に実際の里山はこうですという答えについては、その土地その土地の過去の資料と現場の山とをつき合わせて色々なことを積み重ねていくほか知る方法はないというのだ。更に、里山を守ろうとすれば、守る前提としてその土地の自然・歴史を知らなければどうやって守るかについての答えは得られないという。
利用され、姿を変えながらもその自然のめぐみを変わることなく人々に与えてきた里山。かつて人々は自然をよい状態に保ちつつ懸命に利用し、その同じだけの利用価値を子供にも孫にも残していった。それが「保全」ということであり、ごく当たり前に行われていたことなのだ。しかし、
山が経済的な価値のあるものとして機能しなくなり、身近な自然がどんどん失われていく現在、何を、どう利用しながら残していったらよいのか。その答えもまたどこにもないそうだ。これもまたそれぞれの地域なりに考えていくしかないという。そして、身近な問題として里山保全に取り組みながらも、常に視野を広く持ち、目の前の林についても地球規模の問題として考えていくことも必要であるという。
里山とは? 里山を守るためには? という問いの答えをを期待していたが、「答えはない」というのが答えであった。自然保護の活動をする市民も、専門で研究をされている先生方も同じ。皆模索しているところなのだ。
天覧山・多峯主山周辺の自然や歴史に関する資料を集め、実際に頻繁に山に足を運び始めてようやく一年。確かに以前はただ大きな枠としての自然としてしかとらえていなかった。それが今はこの山の持つ歴史や自然の変遷、現在の在りようまでおぼろげながらも見えてきている。今、私がこの山のことを知ろうとして取り組み始めているこれらの活動がいつか実を結び、この土地にとって最適の里山保全の方法が見つかることを期待している。
野のこども
幼いころ、岐阜県の下呂に住んでいました。有名な温泉街から山を回ったところに位置する集落は、平家の落人が開いたと言い伝えられ、集落の最奥部にあって現在も親戚が営んでいるひなびた旅館は、ただただ静けさを求める客に愛されている。そんなところです。
ひとまわり
5才で名古屋に転居するまで、私はまったく野の子どもでした。同年齢の遊び友だちは集落の反対側に1人いるだけで、めったなことでは会えません。けれどもその毎日はどれほど充実していたことでしょう。兄たちが学校に行った後、近所のおじいさんが編んでくれた小さな籠を肩に掛けて、『ひとまわり』に出かけます。畦づたいに歩くと、大好きな野草がいたるところに咲いています。春なら母が教えてくれたツバナ(チガヤ)やスイバを食べながら歩きます。夏はオオバコやカヤツリグサを何本か採って籠に入れます。夜、少し手のすいた母とスモウやカヤをつって一緒に遊べるように。小川の底の小石を拾ったり、きれいな葉っぱを採ったり、座ってクモの巣を見たりして時を過ごします。お昼を食べて、また『ひとまわり』。朝見た花が、やっぱりそこに咲いていることが幸せだったのです。
外に出られないくらいの雨降りの日は、父が作ってくれたブランコを揺らしました。囲炉裏部屋の梁から下げたブランコは私のご自慢で、雨の日は雨の日で楽しんでいたのです。おやつが欲しくなれば、蚕部屋から屋根に出て柿をもいだり、母が取ってくれる蜂の子(!)
を食べていました。
虫や鳥や花、そして季節にも溶け込んで暮らしていたのだと、今思います。幼い頃に『不安』という感情とは全く無縁だったことは得難い幸せでした。
飛騨は雪深いところです。ある朝、
いつものように外に出た私は、前夜に降り積もった新雪にすっぽり埋まってしまいました。通りかかった人が助け出してくれるまで、落ちた時の仰向けのままで、何の恐れもなく空を見上げいました。雪の中で、雲を見ながら《雲だなあ》とただ思っていた記憶があります。
自然の中で生き、〔自分〕というも
のを意識することもなく、今日の日が変わらず続くことを疑わなかった日々でした。今一緒に暮らす猫たちを見ていると、私もあのころは同じだったんだと思います。毎日毎日食べて遊んで眠ることのくりかえし。あそこにはもう戻れないけれども、足るを知って生きたいと思います。そして、子どもが子どもの時間を充分に過ごせるように、今残った自然を守りたいと思っています。
4月15日、守る会の総会が開かれました。総会では活動、会計、事業、予算案等が報告後、承認されました。その後は、各委員会を中心に発表や話し合いが行われました。
総会はこの1年を振り返り、今後の方針を立てていくうえで、良い機会となりましたが、この日あらためて強く感じたのは、この会の様々な活動が、多くの方々の協力によって支えられているのだということです。殊に目に見えにくい部分を、個人的に負担し支えてくださっているメンバーの方々に感謝の思いを一層強くしました。
今年、守る会の活動も七年目を迎えます。現在天覧山・多峰主山周辺は開発されずに今に至っており、市行政も団地開発からの撤退を明言し始めてきました。この事は、私たち市民の運動の大きな成果といえます。しかし同時に私たち市民は、今後に大きな課題を抱えているともいえるでしょう。
●林の中でシュンランの花を見かける頃 、沢の横の湿地でトウキョウサンショウウオの三日月形の卵を見つけました。
ゼリー状の卵塊のなかには、黒い粒々が見えます。
この一粒一粒の中に、新しい命が宿っているのです。
これらの新しい命は、あるものは仲間との競争に負け、仲間の餌となり、あるものはコサギの食卓に上ります。
カワセミの命の糧となるものもいれば、孵化することすら出来ない運命のものもいます。
この一塊の卵の両親は、そんな厳しい生存競争の中を生き残った、数少ない2匹だったのです。
●この山の厳しい競争の中で生きているのは、トウキョウサンショウウオだけではありません。
細い流れの沢の中をのぞいて見るとそこにはトンボ、カワニナ、ホタル、カゲロウ、ドジョウ、サワガニ、ヒル、カエル、イモリ、サンショウウオ等の生活の跡を見つけることが出来ます。
水の中に入り、川底の落ち葉をすくってみます。
やわらかくなった落ち葉を動かすと、手のひらの上に3ミリほどのカワニナの赤ちゃんを見つけました。
他の生き物の排泄物や、苔を食べてここまで育ってきました。しかし、この小さな巻き貝の子どももまた、無事に育って、次の世代を繁殖させる事ができるかどうか、明日もまたホタルの幼虫に食べられずに過ごせるかどうか、保障はどこにもないのです。沢の中にも、森の落ち葉の下でも、食うか食われるかの壮絶な物語が、日々繰り広げられているのです。
●ではこのように豊かな生き物の暮らしを支えているこの地域の環境は、どのような特徴があるのでしょうか。
入間川の本流と平行して東西に伸びる尾根がこの山の基本的な形です。(この主尾根の北側はすでに団地開発がなされています。)
この主尾根から南にむかって伸びるいくつかの枝尾根。
その枝尾根の間を流れる四つの沢。
この沢に流れ込む細かなひだの様な谷。
ここにできる、微妙な地形的条件の違いにより、その他の温度、湿度、日照時間、照度に差が生まれます。
こうして出来た、多様な環境が、この山の命の多様性を支えています。
もう一点 この山に流れる沢の持つ 特徴として、不純物の流入がない、という点があげられます。
分水嶺である主尾根の南に残された沢には、住宅からの生活廃水が入りません。
また農地及びゴルフ場としての土地利用もないため、薬剤が流れ込む心配がありません。(一番西を流れる御岳入りには上部に飯能日高団地の調整池がありますが、その上部は現在造成されているだけなので薬剤の流入などの心配は今のところありません。)
こうして守られた綺麗な水が、生き物たちの命を支え、また入間川本流の水の浄化にも役立っているのです。
●今年もまたホタルの里に光の舞う季節が訪れます。このホタルもまた、厳しい生存競争の中を生き残ってきた
、物語の主役なのです。