やませみ26号

目次
1 自然と共に生きる  ・・くらしの中の浄化・・
2「飯能県民休養地基本構想中間報告」について勉強しました。
3 第四回奥むさし環境講座
4 サシバの渡り
5 日曜日ふるさと散歩  「里山いきもの調査隊」
6 編集室から
 

1 自然と共に生きる  ・・くらしの中の浄化・・
 
私達が飯能の山里でくらすことになり、初めにしたことは裏山の荒れ地を耕し直し、畑をつくったことだった。また、古い杉の桶を見つけ出し、檜を削り天秤棒を作った。
これで汲み取り式便所より下肥を畑に運び上げる道具が揃った。
この山里にも、二十数年前のその頃は、日本の山里の伝統的な暮らしが色濃く息づいていた。そのひとつが下肥を使った畑作だった。
裏山の急斜面の畑は、その後広くなったり狭くなったりして、今に続いている。
春のジャガイモ、夏のナス科の野菜、マメ類、ウリ類、秋の、ハクサイとダイコンを中心とした菜の物、ニラやネギなどを育ててきた。特においしいのは、小カブとノラボウだ。
野菜クズにEM発酵菌を混ぜて、できた液肥はトイレに入れ、発酵野菜クズとその他の有機物(仕事で出たオガクズや木彫りのクズ、雑草や木の葉など)と混ぜてコンポストで堆肥を作り、これを畑の元肥とし、他には薪ストーブの灰と下肥を追肥として使っている。それ以外の肥料も農薬も使うことはない。
我が家の畑は、こんな風に菜園でもあるが浄化槽でもあり、私の運動場にもなっている。
小さなリサイクルの実践によって、自然の豊かな循環の中に、私達の暮らしが再生してゆくことを、耕す、食べる、排泄する、収穫するその一つ一つの中で実感できるのは、心の浄化作用にもなったようだ。

今、日の出町のゴミ処分場が大きな環境問題となっている。
焼却場から処分場へと捨てられる灰は、ダイオキシン、砒素、カドミウム、水銀、鉛、クロムなどが高濃度に濃縮されている。
再生可能な消費をしてこなかったツケが、ここへ現れているのではないか。そして飯能市の処分場も同じである
私達は一人一人のくらしの中で、浄化再生を進めてゆくだけでなく、力を合わせてゴミの無い社会を創ってゆけることが必要なのだろう。

早瀬成憲

2「飯能県民休養地基本構想中間報告」について勉強しました。

1999年3月県から出された天覧山・多峯主山を中心とした「飯能県民休養地基本構想」中間報告の内容について学習しようということで、県の了解を得て、制作を担当したサンコーコンサルタントの方に来ていただきました。
当日は多くの会員の出席があり、関心の高さが伺われました。
初めにコンサルタントの方から中間報告書について一通りの説明をいただき、その後質疑応答に移りました。

@「中間報告」ってどんなもの?
この中間報告は県の委託によって、民間のコンサルタント会社が作ったものです。
それは一つの原案といってもいいようなもので、「基本的にはこんな考え方でやったらどうか」という提案であり、細部は全く決まっていません。
「計画を委託した県とのやりとりで練られてゆくべきものだが、まだそれはできていない。」とのことでした。

A県民休養地の位置は?
中間報告書の内容を説明する前に県民休養地予定地の位置をもう一度確認してみましょう。

上の地図の太線で囲まれているのが予定地です。
予定地は西武鉄道による武蔵丘分譲地計画地の南側に隣接し、4本の沢を含みます。
報告書の計画案もこの4本を中心に考えられています。
ただし、上流部の尾根筋が分譲地の計画地になってしまっていることが大きな問題です。(このことは中間報告書の中でも指摘されています。)

B中間報告書の計画案とは?
中間報告書には、1案から3案まで三つの案が提示されています。
三つの案の違いは、人工的改変(道路や施設を作ること=開発)の度合いの違いです。
より自然に近いもの(1案)から、かなり人工的に手を入れるもの(3案)まで提案されています。
人工的改変の程度については、1973年に環境庁が出した「自然公園における収容力に関する研究」の中の「計画地容量の設定」を基準にしています。
これは、その地域の自然状態を1?6までの段階に区分し、各段階ごとに人工面占有割合の限度を設定したもの。
1案では第3段階の区域を多く設定し、3案では第4段階、第5段階を多く設定しています。
第4・第5段階が多くなれば、それだけ人工的開発の部分が増えることを意味します。

C飯能県民休養地計画の今までの推移
1977年天覧山・多峯主山周辺に持ち上がった大規模団地開発(武蔵丘分譲地計画)に対し、現小山市長(当時市議)等を中心とした反対運動が起こりました。
その結果、開発面積が縮小され、残ることになった緑地の保全策の一つとして「飯能県民休養地構想」が立案されたのでした。
その後団地開発は実施されず、県民休養地もいくつかの事業が行われただけで休眠状態となっていました。
しかし1995年、突如西武鉄道から開発申請が出され、その中には保全されたと思っていた緑地にも学校と道路が計画されていることが分かりました。
そのときに当会が設立され、開発の変更を求めたのでした。
(残念なことに、小山市長は24年前とは行動を異にし開発を進める立場となっています。)
緑地を守ることの難しさの中で、当会の働き掛けなどによって「飯能県民休養地構想」の再開を図ることはできました。
しかし現在、市がすべき「県民休養地推進協議会」が設置されず、進展していない状況にあります。

D質疑応答
守る会の質問Q
表Cの計角地容量の設定という数値的資料は古く、1973年のものです。
環境に対する考え方は当時と今とでは、ずいぶん違うと思いますが新しい基準はないのですか?
コンサルタント会社の答えA:
これが1番新しいものです。
自然度をいう場合もやはり環境庁の30年位前の分類しかなく、その分類からいうと、里山・雑木林のランクは自然度で言えば低い。
けれど《そういう、人がかかわった自然は大切》というのが最近の言い方です。

Q:こんな駅に近くて自然が残っている所はそんなにないと思うんです。
すでに今、小学生でも歩ける道がある訳ですから、施設を作って利用しやすくすると言うより、豊かな自然をどうやって残すかを考えて計画して欲しい。これからの時代、ますます行政も社会のニーズもそういう方向にいくと思うのですが。
A:そうですね。ただ基本的には県民休養地というのは、自然公園の中に於ける集団施設地区というか、利用拠点を作る話だと思うんです。
こういう風に市街地が周りに迫ってきた場合、利用しながら保全するという形を取った方がいいと思う。
何もしないでただ残していきましょう、というのはおそらくいかない。
それと、このレベルの林の場合は積極的にいじった方が豊かだと思います。

Q:里山の特徴というのは非常に複雑でなかなか的確に捉えにくいのですが、それを改めて再生するという時に、市民参加という形を是非提示して欲しいと思っているのですが・・・。
A:間違いなくそういう時代に入っています。
これからはほとんどのものがそういう決め方になって、行政の決定に市民の意見が入らないということはあり得ない状態になりつつあります。
出来上がったものにも市民が参加して維持管理をしていく、あるいは作るところにも参加するという形になってくると思います。

Q:この地域は元々は里山で人の手が入っていましたが、たまたま開発されずに何十年も放置されたので、逆に他にない自然が戻ってきたと思うのですが、こういうケースでの保全のあり方はどう考えたらよいと思いますか?
A:今は里山として使ってないし林業も農業もやっていません。農業で落ち葉を集めるなどということもありません。
だとすると、昔と同じ里山という形態は無理と思います。
そうすると里山として守りたいのか、ほっぽっておいて将来鬱蒼としたジャングルのようにするのかと考えた時、私は人が関わっていく里山的なものを考えていく方向でと思っています。
ここは重要な観光地でもあるし、観光の人達も受け入れつつ自然を守っていくということで、手を入れて中に入ってもいいというふうにしておきたい。


第1案・昔の計画地の性質に近づける。
奥の方は全部第3段階で考え、能仁寺のあたりは第5段階として人が入りやすく整備する。山の中にある壊れたベンチを直す位。

第2案・今よりは自然を戻し、人も今より入りやすくする。
天覧山山頂の方は第3段階であまり手を付けず、河原や民家近くは第4段階、街の近くは第5段階とする。入り口らしい場所と気軽に散策できる自然観察ゾーンを制定し多峯主山の山頂はしっかり守る。

第3案・ハイキングルートも整備し、人が手軽に親しめるようにする。
両側を第5段階として施設のある地区を設置して拠点とし、後方は自然との触れ合いのゾーンを少し大きめに設ける。

全3案に共通して、現在より自然豊かな方向に行くという、納得できる記述がない。

E最後に守る会から
 この天覧山・多峯山の周辺の里山はこれまで、飯能のシンボル地として人々によって大切に守られ、豊かな歴史と文化を育んできました。現在もオオタカを頂点とした豊かな生態系を留めた自然環境は深く市民に親しまれています。
県は「中間報告書の計画案は、あくまでタタキ台であり今後は市民参加型の取り組みが重要である」と言っていて、現在会としてもこの地の現地調査や資料収集の作業を続けています。
さらに今回のような学習会も重ねながら、今後は市民自らが知恵を出し合い楽しみながらこの地を維持・管理・運営してゆける方法を模索しつつ市民が本当に願い、次代へと手渡してゆける保全案の提案をしてゆければと思っています。
 

3 第四回奥むさし環境講座
講演会   「自然と文学」      ー俳句に於ける自然観ー

世界文学の中で日本文学はいくつかの特有の側面を持っているが、その一つとして短詩型が著しく発達した点が挙げられる。
殊に俳句と自然との結びつきは世界的に例を見ない自然観照の文学を成立させた。
俳句における自然の捉え方を具体的に見てゆくと、そこに日本人に特有の感性が浮かび上がって来る。
その感性はまさに我々の身の回りの自然によって育まれたものであり、日本人にとって日本の自然が及ぼしてきた影響の深さを文学の面から改めて知らされることになるだろう。

講師・駿河台大学教授、埼玉県環境アドバイザー、内田康夫先生
日時・11月26日(日)午後1時半より4時半まで
会場・飯能市美杉台公民館集会室      入場無料
共催・(財)埼玉県生態系保護協会      はんのう景観トラスト
後援・埼玉県      埼玉県教育委員会
問い合わせ先:mail:akisato@yc4.so-net.ne.jp
 

4 サシバの渡り

サシバというタカをご存じですか。春から夏にかけて、日本で子育てをし、冬を台湾から中国、東南アジアといった地域で過ごす中形のタカです。
オオタカ・イヌワシなどと違い、絶滅危惧種に指定されていないため、新聞などに取りあげられることも少なく、なじみのない方が多いのではないでしょうか。
しかし、サシバは「里山」に住み、人にきわめて近いところで生活しています。エサにしているのはカエル・トカゲ・ヘビといった、田やあぜの生き物です。
そのため、里山の田圃が乾田化する、休耕田になる、宅地化される、これらがすぐにその生存をおびやかします。

飯能の付近でも、最近まで子育てをしていました。しかし、田圃が埋められてきれいに整地されたため、その姿が見られなくなりました。
サシバには、「オオタカ」のように、開発を止める力はありません。「里山」に暮らす人の事情によって、突然環境が変わってしまう。
それは、きわめてありふれた日常的な出来事であるため、ニュースになることもありません。その環境の変化によって、サシバは人知れず、ひっそりと数を減らしています。
もちろんそれは、日本だけではなく、東南アジアの急激な開発の問題であるのかもしれません。
ただ、はっきりしていることは、どの地域であれサシバの数が少なくなること、それは「身近な自然」が、なくなっていくということです。

毎年秋、そのサシバが天覧山上空を通過し、東南アジアに渡っていきます。関東平野が終わり、山が立ち上がるここは、上昇気流が発生しやすい地形のようです。
タカはその気流をとらえ、旋回しながら高く上昇し、グライダーのように滑空しながら飛び続けます。目指すのは富士山、伊良湖、四国、九州、南西諸島、そして東南アジア。
途中ほとんどエサもとらず、数千キロを一気に飛び続けます。

秋の晴れた日、数十羽のサシバが群をなして上昇していく姿を見るため、タカ好きは天覧山に登ります。
ほかにもハチクマ、ミサゴ、ノスリ、ハイタカ、ツミ、ハヤブサ、チゴハヤブサといったタカが、この付近を通過していきます。
それらのタカを、山頂に集まった人たちが、無事に目的地に到着するようにと見送ります。
2000年・秋は、例年になくサシバの数が少ない年でした。1999年・秋は599羽を記録。
しかし、2000年・秋は、306羽。所沢や青梅などの調査地点では、サシバの数に大きな変化はありません。
このことから、どこか別の場所を通過した、観察していない時間帯に飛んだ、高く遠くを飛んで見逃した、などと考えています。
環境の悪化によって激減したのでないことを、祈りたいものです。

春になると、サシバがまた戻ってきます、子育てのために帰ってくるサシバを、春霞の天覧山で出迎えたいと思います。

日本野鳥の会東京支部・安田重夫

5 日曜日ふるさと散歩  「里山いきもの調査隊」

天覧山・多峯主山の仲間たちを訪ねて調査隊が動き出します。植物・昆虫・鳥に哺乳類……里山調査隊サポーター登録受付中です。

11月12日(日)
水辺の生き物を見つけよう
  l゚前九時三十分能仁寺山門前集合
  rキ靴でどうぞ・持ち物・お弁当     (ムカゴご飯も作ります)お椀と箸
рP2月10日(日)
大きな木探そうv(予定)
  l゚前九時三十分能仁寺山門前集合
  rキ靴でどうぞ・お弁当水筒持参

1月1日《元旦》
二十一世紀の初調査
  l゚前六時〇〇分能仁寺山門前集合
  *元日は初日を見た後、天覧入りで観察会を行います。

問合せ先:mail:akisato@yc4.so-net.ne.jp
 

6 編集室から

 「生きものってどうして間違わないで同じ種とだけペアになれるんだろう?」子どもの頃からの大切な不思議です。
理科の教員に話すと「メカニズムはまだ解明されていないんだが、匂いという説がある」。
違うんだな、私はこの素敵な不思議を一緒に楽しみたかったのに。《解明》されてても知りたくないし、何でも判るってつまらない。
ニワトリの2本足は不安定だから4本足にしようとしている科学者がいると聞きました。
「じゃあ、卵を作れよ!ニワトリの手を借りずにサァ」とツッコミたくなりました。生きものは自身で種を強くしていくからすごいと思う。
人間は弱っちいから遺伝子組み替えなんてやるんだろうな。
秋、必死で血を吸おうとする蚊。(偉い!真剣に生きてる!)と思いながら叩き殺してしまったのでした。                (林)